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[巻頭特集]文化元年創建の虻田神社 212年の歴史をたどる
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 京都伏見稲荷大社よりご分霊(稲荷大神)をいただき洞爺湖町入江に1804年(文化元年)創建された虻田神社は、同年には恵比寿神社も建立された。五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、諸願成就の神として崇められ、親しまれたお稲荷さんと、漁業の神、商業神として信仰された七福神の恵比寿さん(恵比寿大神)も、虻田神社に1917年(大正6年)に合祀された。1822年(文政5年)には有珠山の噴火によりご祭神の鎮座地は高砂町(赤川地区)に遷した。長輪線(JR室蘭線)開通の1922年(大正11年)には社地を現在の青葉町に置き、1971年(昭和46年)に社殿が造営された。現在の宮司・野々村國男さんにお話を聞き、今年で創建212年を迎えた歴史をたどる。
(ニューボルカノ編集長・矢萩学)

■虻田町開基は村田卯五郎の定住 
 虻田で牧場の頭取となる村田卯五郎は、1800年(寛政12年)に定住を始め、虻田町はこの年を開基としている。文化元年の創建は松前藩による虻田場所の開田、漁場開始の神恩奉賽(神の恵みへのお礼)と繁栄祈願のために、請負人であった和田茂平が藩領主松前章広の命を受け開いた。当時は江戸後期で第15代慶喜まで続いた徳川家の第11代征夷大将軍・徳川家斉(いえなり)の時代。
このほか虻田神社境内には、地域の農家や漁村から集まった摂社(本社に関係の深い社)の海上安全の守り神とされる金刀毘羅神社と末社(摂社に継ぐ小社)のがんけ稲荷神社、古嶺原神社、赤倉神社、稲荷神社が祀られている。虻田神社の神棚の祀り方は、虻田神社(氏神さま)を右に、中央に天照皇大神宮(伊勢神宮)、左に金刀毘羅神社(航海安全神)の3体を一組としてお頒けしている。
虻田神社では年間行事として、月次祭(つきなみさい)が毎月1日(午前8時~)及び17日(午前9時~)に「世のすべての人が幸せに過ごせるように祈念する祭」を行っているほか、毎年6月と12月に「大祓式(おおはらいしき)」が行われている。大祓とは「古事記」「日本書紀」にも記述がみられる伝統あるお祓いの儀式で、半年間の罪や穢(けがれ)を祓い清めるため、その月の末日に行う。6月は「夏越(なごし)の大祓」といい、茅(ちがや)で作った大きな輪をくぐる「茅の輪くぐり」も行われる。大祓は「形代(かたしろ)」と呼ばれる人の形をした紙に名前と年齢を書き、その形代に息を吹きかけ身体を撫で、自分の罪や穢れを移しわが身を清めてもらう儀式という。
 昨年の虻田神社例大祭は8月16日の宵宮祭で子ども相撲大会、吹奏楽演奏会、餅つきや太鼓演奏などが行われ、17日の本祭でも洞爺湖音頭踊り、琴の演奏、町民のど自慢など賑やかな余興のほか、神様が神輿に乗って町内20カ所以上を回り、町の安全と繁栄を祈り願う神輿駐輦祭(ちゅうれんさい)とメイン通りでのかつぎ神輿、海上渡御も行われた。18日の後日祭ではパークゴルフ大会も開かれた。
 このほかにも節分の厄年祓や人形供養祭、10月1日~11月15日に七五三詣、11月23日には新嘗祭(にいなめさい)など多様な祭事が執り行われている。

■伏見稲荷は奈良時代の711年 
 現在、全国に3万社あるといわれる稲荷神社の原点は、ご祭神である稲荷大神様が京都伏見の稲荷山にご鎮座された奈良時代の711年(和銅4年)に創建された。伝えによると、朝鮮半島南部から渡来してきた秦伊呂具(はたのいろぐ)が餅を的にして矢を射たところその餅が白鳥に化けて飛び去り、留まった山の嶺に稲が生じるという奇跡が生じ「伊奈利(いなり)」という地名になったと言われ、「イネナリ」「イネネル」が「イナリ」になったとのこと。このため農業振興として地方に広まった。稲荷山の麓に本殿があり、山全体が神域となっている。
 京都の東寺に五重塔を建てる時に稲荷山の木を使用したことにより、稲荷神に傾倒した空海が稲荷神社を東寺に勧請したこともあり、神社としての位も上がり、神仏習合として日本でも有数の巨大な神社となった。
 伏見稲荷には伊勢神宮の神様を祀っており、神格では伊勢神宮が伏見稲荷を含めすべての稲荷神を統括している。1868年(明治元年)には、新政府による神仏分離令のため、貴重な文化財となったであろう仏殿や仏像類は廃棄され、領地も召し上げられ、境内地は4分の1に減らされた。戦後の1946年(昭和21年)に宗教法人化し社名を「伏見稲荷大社」とし、神社本庁は伊勢神宮を本宗とするのに対し、別の独立した単立宗教法人とした。

■鳥居の奉納は1万基を超す
 平安時代に遡ると、紀伊半島の熊野の神が、身分の違いや男女の別、忌、病などを問わずすべてを受け入れ、大自然の圧倒的な存在感と力を根源として、あらゆる生命の営みにパワーを授ける聖地として「蟻の熊野詣で」といわれるほど国中から人々が集まり、この行き帰りには必ず伏見稲荷を参拝する習わしとなっていた。なお、狐さんに守られた堂々たる楼門は、1589年(天正17年)に豊臣秀吉が母親の病気の本復祈願のため寄進したとされている。
 江戸時代以降に特に発展し、庶民にしっかりと根付いた。願い事が「通る」あるいは「通った」とお礼の意味で鳥居を奉納する習慣が広がり、現在では1万基を超えている。
 虻田神社の一つ目の鳥居は洞爺湖町成香出身の佐佐木勝造氏が樺太から引き揚げ、1971年(昭和46年)に奉納した。この鳥居をくぐると同じく佐佐木氏が奉納した一対の狛犬が睨みを効かせる。一般的に右側が獅子像「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像「吽形(うんぎょう)」は口を閉じ、古いものは角を持っており、昭和以降は左右とも角がないものが多い。これらは本来「獅子」と呼ぶべきものだが、今日では両方の像を合わせて「狛犬」と呼ぶことが多い。一対でないと繁盛しないという説もある(スフィンクスも同じらしい)。
 そもそも稲荷神社には神仏の守護獣として狐が置かれていると思っていたが、ここは狛犬。諸説ありそうだが、「山の神の象徴が狼で、いつか変化して狐となった」。恵比寿神社でも「狛犬は狼が変化したもの」と共通項は見えてきた。しかし春日神は「鹿」、弁財天は「蛇」、毘沙門天は「虎」など、ほかにも守護獣はいる。

■白蛇模様の「叶う守り」提供
 虻田神社の昨年の正月のこと、台湾の宗教施設を営まれるご夫婦が自分の施設で祀っている弁財天から「虻田神社へ参拝するように」とのお告げがあって来られ、その帰り階段を下り鳥居まで来ると、鳥居の柱に雪で白蛇模様が現れた。3月には柱4本ともに白蛇模様が…。
 弁財天は水神であり蛇との関わりが深く、農業神として稲荷神との共通点もある。金運開運、商売繁盛、無病息災、大願成就、不思議な力と奇跡を呼び幸福を招くと言われている。その後、同神社では白蛇模様をデザインし「叶う守り」としてお守りを提供している。
 「龍」は中国の想像上の動物だが、日本では古代から「蛇」の信仰と結びつき、いわゆる「龍神信仰」が広まった。
 風水では、大きな山や山脈から大地のエネルギー(気)が放出すると考えられ、その強大なエネルギーの流れを龍に例えて「龍脈」呼び、その龍脈上でエネルギーが留まる地形になっている場所を「パワースポット(大地の気がみなぎる場所)」と呼んでいる。
 洞爺湖周辺は、利尻岳(利尻富士)―羊蹄山(蝦夷富士)―駒ヶ岳(渡島富士)を結ぶライン上(龍脈)にあるためパワースポットが数多く点在し、虻田神社も龍脈にあり、「特に空気が澄み渡っている」との評判も。また洞爺湖は羊蹄山からの気を貯えた湖水が有珠山、昭和新山、周辺の山々で囲われているパワースポットでもあるとされている。さらにこの龍脈の先には岩木山(津軽富士)―世界遺産となった富士山が繋がるという。
 洞爺湖には数々のアイヌ伝説も残されている。その一つに、翼を持ち悪臭を放つ大蛇「ホウヤカムイの龍蛇伝説」があり、近隣の村で疫病神が天然痘を流行させ、人々が洞爺湖畔まで逃げてくると、ホウヤカムイがその悪臭で疫病神を追い払い、人々を救ったと言い伝えられ、以来、流行病があるたびにホウヤカムイに酒を捧げ、病気平癒を祈ってきたという。
 長い歳月を刻み、それぞれの時代を経て、神々によって守られてきた篤い信仰。次の世代へも崇高な祈りとして伝えられてほしいと、祈念する。
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# by volcanomg | 2016-03-28 13:45 | 2016春夏号